シンポジウム「千年つづく風景」 記録編
開催日 令和4年10月29日(土)
ところ 北福地集落センター(伊那市富県8172-1)
◯千年つづく風景
伊那谷の風景価値について、〈さまざまな視点〉で、〈みんなで〉考え、〈発信〉し、そしてその価値を〈大切にし続けたい〉と思います。その一つの舞台として、風景プロジェクト(風景シンポジウム)を実施しています。目指し、守りたいのは、《千年つづく》風景です。
令和4年度は第一回目として、伊那市富県福地集落において、『千年つづく風景』(チラシ参照)を開催しました。この福地地区は、千年村プロジェクト(下記・木下剛さんのお話参照)が、千年村として認証している地域です。
◯基調講演「信州伊那谷のエコランドスケープ」
田畑貞壽名誉教授(千葉大学名誉教授)
田畑貞壽さんは、伊那市富県福地地区で生まれ育ち、ランドスケーププランナーとして国内外で活動されています。その活動の原点ともいえる生まれ故郷をさまざまな視点で捉えた「信州伊那のエコランドスケープ」(令和4年・ぶんしん出版)を出版しました。基調講演では、このふるさとの風景を通して、千年つづく風景のためのメッセージを語りました。
著書:生まれ育ったふるさと
信州伊那谷のエコランドスケープ
◇風景の中に営みがある
伊那谷は自然災害が多く、気象条件の変化も大きな土地であり、また、山、里山、集落の景観がとても優れた土地です。その景観は、人々の営みとともに変化を続けてきました。例えば三峰川沿いを歩くと、災害(水害)を受けた河川の改修現場のすぐそばで稲作がおこなわれ、今でも変化のただ中に人々の暮らしがあります。
富県には縄文時代の御殿場遺跡があり、古くから稲作がおこなわれてきた痕跡があります。神田(=じんでい 田畑貞壽さんの生家近くの地名・田畑家の屋号)には、井戸の水を温めてから水田に入れるための“どぶ”(ため池)があります。この“どぶ”は、水田以外にも使われ、その利用目的ごとに第一、第二、第三、と分かれています。そして、そのそれぞれの“どぶ”に生き物たちも共生しています。風景の中には、そうした営みがあります。
風景という点で見れば、福地地区で最も高い頂である高烏谷山は、富県地区一体のランドマークです。天竜川をはさんで対岸の西箕輪地区や、下段に位置する東春近地区からよく見え、富県地区に住む人々を結びつける不思議な力を持っていると思います。また、福地地区からは、中央アスプスを背景に水田が広がる素晴らしい眺望があります。
久しぶりにふるさとを訪れると、樹齢180年をこえる杉林が姿を消すなど、景観の変化を感じます。大切なものは大切にしながら、変えるものは変えていくという姿勢について、改めて考えなければと思います。行政主導で制度を整えることも大切ですが、何よりも必要なのは、地域と市民が一体となって進めていくことと思っています。
*エコランドスケープ=風景は生態系(エコシステム)の現れという考え方に基づいたランドスケープ。田畑さんは「目に見える風景の中に生命の繋がりがあり、だからこそかけがえのない風景である。そうした見方をすることが大切」と言う。
◯田園地域の矜持・守るべきもの〜〈千年村〉という戦略
木下剛教授(千葉大学大学院 園芸学研究所教授)
木下剛さんは、ランドスケープ計画・デザインの専門家です。〈千年村プロジェクト〉の中心メンバーとして全国各地の千年村の調査などにあたっています。
◇千年村プロジェクトのきっかけ
東日本大震災の時、被災地のただ中にあって全く被害を受けていない地域がありました。
なぜその地域では被害が少ないのかを調べてみると、地質・地形・標高の面で災害に強い条件が備わっていることが見えてきました。一方、被害が大きかった場所には昔、人は住んでいなかったこともわかってきました。そこで、危険を回避する術の乏しい昔の人々は危険な土地を避けて暮らしや生産活動を行っていたと考えるようになりました。
◇千年村プロジェクトとは
千年村とは、千年を基準として、自然的社会的災害・変化を乗り越えて、生産と生活が存続してきた土地をさします。長期の生存を可能にする様々な理由・仕組みを解き明かすことが千年村プロジェクトの主旨です。
千年村には、①環境②地域経営③交通④集落構造の4つの評価基準があります。千年村プロジェクトでは、子供に地域の良さを伝えるワークショップを行ったり逆に教わったりすることで地域の魅力をあぶり出していく活動をしています。自分たちの地域が千年村と知ると、共同作業の参加者も増えていきます。先述の4つの評価基準を元にこれまでに全国10か所の千年村を認証してきました。最近は地域の方から認証を求める例も増え、地域おこしに利用していただいています。
◇千年村から見えてくるもの
千年村プロジェクトでは、平安時代の書物に登場する地名を現在の大字の単位で特定し地図にプロットしていきます。この地図からは、多くのことを読み取ることができます。
津波や洪水の危険性が高い低地・海沿いには相対的に千年村は少なく、かえって水を得にくい台地の中にも少ない傾向にあります。多くは台地と低地の境目や谷の入口といった地形の変わり目に分布していることが分かってきました。自然災害に強く、生産地としても優れていると推察されます。
現地に赴いて住民に安全な地域であると意識しているのかを尋ねてみると、あまり意識されていないことがわかりました。高みに家が建っていても、洪水を避けている意識はなく、昔からそこに住んでいるからという消極的な意見がほとんどです。また、農業を維持するための土地利用が無意識に防災に役立っていることが調査の結果見えてきました。2018年の広島県の水害では、浸水が長引いたエリアを千年村は避ける傾向が見られました。千葉県では限界集落と千年村の重なりがみられず、千年村では人口の再生産が順調に行われているという仮説が立てられます。
こうした視点で地域をとらえなおしてみると、地元の方々が特段意識していない新たな価値・魅力が拓けてくるのではないかと感じています。
◯三風の会がめざすもの
向山孝一会長(三風の会会長・KOA株式会社会長)
伊那谷で電子部品の会社を経営しながら、地域とともに歩むことを大切にしています。三風の会を設立に導きました。「未来に託すべき伊那谷らしい風土・風景・風格とは何か。どうしたらそれを後世に伝えることができるのかを検討し、産学官住民がチームとなって、生きた遺産として風土・風景・風格を継承する」(三風の会設立の目的より)
◇千年という時の流れ
今日の基調講演を聴いて千年という時間の長さについて考えました。現代、生産と生活を担う企業にとって千年とはどのような時間なのだろうか、と。
千年前から今日まで続く企業は世界に12社あり、そのうち9社は日本にあります。中でも最古のものは578年から大阪で寺社建築に関わる金剛組。他には華道の池坊、世界最古の旅館・慶雲館などがあります。
信州伊那谷では安土桃山時代、飯田に落ち延びてきた織田家の家臣が綿半を創業し、その数年後には中川村で養命酒が誕生しています。これらの企業は、江戸幕府滅亡、明治、大正、そして大きな戦争を乗り越えて今日も操業していることになります。
◇風景には、その土地に住む人々の価値観があらわれる
自分自身は、山の神様と出会った経験を経て、自然に生かされているという気づきを得ました。この考えを企業経営の場で実践していく中で、あれは新しい価値観を生み出すための啓示だったのではないかという仮説を立てました。無限の資源の中で成長・拡大を続ける社会から、限られた地球の中で循環・調和していく社会へと変わっていかなければ、変えていかなければならないのではないか、という仮説です。
この仮説を立証するためのモデルの一つとして三風の会を立ち上げ、伊那谷の風景を守る呼びかけを始めました。風景には、その土地に住む人々の価値観があらわれると思っています。ご先祖様の中にも自分と同じように神秘的な体験をした人が沢山おり、お祭りなどの形で自然への畏怖を後世に伝えてくれているのだと思っています。
東日本大震災において、浪分神社を境に津波の被害に大きな差が出ましたが、この神社が千年余り前の津波の後、これより海側に自分たちの子孫が住まぬように建てられたことを住民は誰一人知らなかったといいます。このことは、土地の記憶を1世代5世代10世代に渡って繋げていくことがいかに困難かを物語っています。
風景を守ることについてこれからも一緒に考えていきましょう。
◯ディスカッション「千年つづく風景 伊那谷の風景価値を探る」
・会場の皆さんとの意見交換
◆「高度成長期以降、私たちの暮らしが大きく変わっていく中で、景観について具体的にどのように関わっていけばいいのか考えをお聞かせください」(平賀研也 元伊那図書館長)
◇「現在まさに感染症による大きな変化の只中にありますが、千年村は感染症にも強かったのではないかとささやかれています。都市ほど人の行き来が激しくなく、緑が豊かで密度の低い環境が感染症の被害を抑えているのではないかという仮説を持っています。いまだ立証はできていませんが大きなリスクへの耐性、回復の速さで評価できるのではないかと考えています。また、長期に渡る持続という点で地域も企業も通じるところがあるのではないかと思いました。防災・減災といった短期的な技術ではなく、文化のレベルで継承されてきたものが長い時間を持ちこたえさせたのではないでしょうか。その辺を解き明かしていきたいと思っています」(木下剛さん)
◆「伊那谷の風景の根本にある、田んぼがあり集落があり河岸段丘がありその奥に3000m級の山並みが見える構造を守るためにひとりひとりの小さな努力が必要だと感じました。千年レベルで変わらない伊那谷風景の特色を田畑先生の言葉でお聞かせください」(佐々木葉 早稲田大学理工学術院創造理工学部教授)
◇「私も同じ考えで調査してきましたが地形・地質的に河岸段丘は非常に重要です。人が長く住んでいける土地は限られていて、河岸段丘をベースに風景・景観を考えるとよいと思っています」(田畑貞壽名誉教授)
◯最後にひとこと
◇木下剛教授
去年上原さんと一緒に伊那谷の千年村を訪ねましたが、今、ご指摘があった景観の大きな構造(田んぼがあり集落があり河岸段丘がありその奥に3000m級の山並みが見える)が大変心地よく感じられました。防災・減災だけではなく、暮らしやすさや豊かさが実感される素晴らしい景観だと思います。是非今後も調査を続けていきたいと思います。
◇向山孝一会長
私たちはこの数十年、過去の人類が経験したことのない大きな変化の中にいます。そうした変化に対して、今まで培われてきた人間性、文化、価値観を背骨に置いたアプローチが必要だと感じています。
子どもたちには日本人が大切にしてきた文化・生き方を体験から学んだ上で、たくましく生きてもらいたいと思います。そのような若者を育てることが私たち親に託された課題だと思います。風景もその一つです。
◇上原三知准教授
私たちが千年前に集落の場所を決める立場にあったとして、この場所を選べたかということを考えると、私たちは退化しているんじゃないか?子どもたちはどうなるんだろうか?という問題意識を新たに持ちました。
災害に強い場所という意識なく、当たり前だと思って住んでいる住民たちが、自然環境の豊かさを当たり前に思っている長野県の人たちと重なりました。それを知っていれば豊かに暮らせるのに、当たり前と思って見過ごしていることが大人にも沢山あり、子どもたちはいかほどなのかと改めて感じました。
また千年村が安全な所の真ん中に住むのではなく安全な所と危険な所の境界にあるという分析からは、居住性と生産性、リスクとチャンスといった二面性が持続可能性に繋がっていると感じさせられました。
今回の「千年つづく風景 伊那谷の風景価値を探る」は、科学的・感覚的両面でいいと感じられる場所が非常に大事で、それを見つけるためにはこれまで当たり前と思ってきたことに目を向ける新しいアプローチが必要だと感じられる機会になったのではないでしょうか。
◇田畑貞壽名誉教授
今日は福地村までお越しいただきありがとうございました。こういう取り組みは続けていかなければ意味がありません。人と自然の共生はいろいろな面から考えられますし、行政、住民、研究者、教育者それぞれができることに取り組んでいただけるとありがたいと思います。